こんにちはღちひろです。
父の葬儀から早1ヶ月、月日が経つのが早すぎると感じずにはいられません。そんな父の葬儀は、家族葬でした。
この家族葬ですが、宗派、地域、家族の意向によって様々なパターンがあることを初めて知りました。
家族葬を希望したのは、我が母。
私がまだ小さかった頃、田舎では多くの家庭が冠婚葬祭を自宅で行っていました。私のおじいちゃんもおばあちゃんも共に自宅で送りました。
このようなことができた背景には、町内会の多大なる尽力がありましたね。
お通夜から葬儀が終わるまでの間ずっと、町内の女性陣が我が家にやってきて、ご飯の用意からお茶の準備まで全てやって下さり、当の家族は何もすることがありません。何もです。
みんな優しくて、一夜にして執事と婆やがたくさんできたかのようでした。
本当に有り難い時代でしたね。
お陰様で祖父母はそれは、それは多くの人に助けて頂き、たくさんの人に見送られて出棺しました。
おつきあいという面では、面倒臭いこともたくさんあったに違いありませんが、お互い助け合って地域が成り立っていたように思います。
でも、田舎は過疎化とともに高齢化。現在、たくさんの高齢者がお一人で暮らしています。
従って次第にお葬式も簡略化され、家族葬という形で葬儀を行う家族が多くなってきたそうです。
家族葬となると、基本的に身内からのみ香典を頂きます。お返しする手間も省けますし、ご挨拶のハガキを出す手間も省けます。
80歳を過ぎた母は体力に自信がなくなったこともあって、できるだけ簡単にすませたいと家族葬を希望したのでした。
実は母も家族葬とはこんなものと人から聞いた情報を自分なりに解釈しているところがあったようです。
もれなく、この私もですが…。家族葬とは、家族と近親者だけの葬儀のこととざっくり思っていました。
実際、父が亡くなってから葬儀場へと打ち合わせに伺ってはじめて、家族葬という葬儀方法には「これといった決まり、形式がない」ということを知りました。
ということは自分達で作り上げないといけないということになります。
ありとあらゆる事が全て選択、選択の連続でした。
これ、しますか?しませんか?
買いますか?買いませんか?
ファイナルアンサー!?
「一般的には使用します」を前提に色々提案されます。
全てのことにお金が動きます。
結局家族葬とは、宗派、地域、家族の意向によって様々にパターンがあるということになります。
私なんか、実家で葬儀をするものばかりと思っていたくらいですから。
実際のところ、会場をお借りする場合、待合室を葬儀場として利用することもできましたが、お座敷なので、高齢者にとっては足に負担がかかってしまいます。
5万円多く支払うと、100人は優に入れる会場を借りれるとかで、実際会場に入らせてもらって見てみると、あまりの広さに失笑ししちゃいました…。(ひろすぎるわ)
結局、父が商売をしていたこともあって、人づてに亡くなったことを耳にした方々がお見えになるかもしれないということで、広いお部屋をお借りしたのです。
お通夜は家族5人だけなのに、大広間で行われ、だだっ広いところに、5人だけ。寂しすぎました。でも、葬儀告別式の日は実際多くの人が来て下さり、広いお部屋を借りて良かったという結果に。
父の葬儀の経験から人が一人死ぬとこんなにもお金が動くのかというのが正直な感想です。
私はクリスチャンなので、葬儀に関してはお金が必要ありません。そして、初七日や四十九日といった儀式もありません。
父の葬儀を経験してから、これ本当に必要?もっとシンプルでもいいんじゃない?と心の底から思いました。
こんなことを母に言うと、常識がないと叱られるので、黙っていましたが、私には葬儀は必要ないかと。
まだ死にませんが。笑
長々と最後まで読んでいただき、ありがとうございますღ