ベッキーの不倫疑惑?以来、テレビ等で、不倫が許せるとか、許せないとかの論争が繰り広げられている場面を目にする機会が多くなったような気がします。
ぶっちゃけ、そんなの人による。
許せる人がいいとか悪いとか、許せる人の気持ちがわからないとかそんなのどっちでもいい。
とういうのも、人の人生は選択の繰り返しと言われている程、選択に選択を重ねて生きています。
許すのも許さないも1つの選択にすぎないと思うからです。
「浮気を許せるなんて、信じられなーい」と私自身も言われたこともありますが、
ほっとけ!
そもそもあなたと私は違う人間であり、あなたにジャッジする権利はありません。
こんな風に思ったこともありました。
心理学を学んだ時、妙に腑に落ち、今でも深く心に刻みこまれたことがあります。
それは、意味づけ。
何か事が起きた時や、起きた現象に対して、人は自分なりの意味づけをする。
例えば、制限速度を守って、車間距離も十分保ちながら運転していたのに、後ろから激突されました。
パターン1:なんて不運なんだろう、後ろの運転者、目がついんてんのか!?
パターン2:これくらいの事故で済んで、怪我もなかったことがラッキー。
このように2つのパターンとします。
どちらも起きたことには変わりがありませんが、意味づけには明確な違いがありますよね。
どちらが、生きていく上でハッピーでしょうか。
どうせ選択するなら、ハッピーな意味づけをたくさんした方が人生を楽しめませんかという事でした。
たった1つの現象に対しても人によって意味づけが様々なのですから、不倫に対しても人それぞれの考えがあっていいと思うのです。
人は、人。
同じ考えの人しか受け入れられないのであれば、それも1つの選択としてOKかと。
まぁ、テレビにしてみれば、話のネタですものね。
盛り上がれば、見ている人を楽しませてくれますよね。
それに気に入らなければ、見なければいい(笑)。